講師のリクルーティング その2
リンガ・エスプレッソのヤスロウです。
ここシアトルでは今晩(12月13日)、ついに雪が降りました。それ以前から、ひどい風邪にかかってしまった人が多いようです。講師の中でも、ブレンダとリナがそうです。生徒さんにもそういう方がおられました。読者の皆さんは、寒さにめげず元気にお過ごしでしょうか?
さて、今回は「講師のリクルーティング その1」に引き続いて、我々の講師のリクルーティングについてお話したいと思います。
前回、英語を教えた経験の評価について少し話しましたが、今回はそれの補足をするところから始めましょう。
私が、英語教授経験を単に期間だけで評価するのは全くナンセンスだと思っていることは既にお話ししました。それだけではなく、アメリカ一般ではある程度評価されるであろうことも、私は必ずしも評価しません。例えば、アメリカ国内を含めて語学学校やカレッジでの教授経験、大学も含めて外国での教授経験、などです。
アメリカでは経験を高く評価する傾向にありますので(私にいわせると不当に高く)、うまく身を振ることで、きちんとした訓練を受けることなく、その程度の教職に就くことが可能です。外国においても、ともかくネイティブ・スピーカであれば、あがめられる傾向にあります。例えば日本においても、さすがに一流大学ではそういうことはないでしょうが、二流・三流大学では、学士号持ちのネイティブ・スピーカで多少の経験があれば、英語を教える職に就くことは可能です。実際、きちんとしたTESOLの教育を受けることなくTESOLの分野でやっていこうとする人は、そういった機会を利用して自分の履歴書に箔をつけることをよくやります。
もちろん、そういった経験を通じて豊かな見識を身につけた可能性もあるわけですが、履歴書にそういう項があったらからといって、即プラスに評価することはない、ということです。
アメリカ国内では、よく図書館などでフリーの英語教室が行われています。アメリカに留学している人たちの中でも、語学留学をしているような人たちには、お手軽さからこういった教室はよく利用されているようです。こういうところで教えた経験のある人も今まで応募してきていますが、今までの私の経験の範囲では、こういった人たちは全く使えません。特に専門的知識も訓練もないような人が所詮ボランティアで、最低限の知識だけ与えられてやっているだけですので、我々のスタンダードにはとても達しません。
(アメリカの)小・中学校などで、外国出身の子供に英語を教えた経験があることを売り込んでくる人もいます(ESL/EFL/ELLなどといった略称を使います)。ちなみに、アメリカの公立小学校・中学校などでは、こういった子供を特に別のクラスに入れたりすることはせず、一般生徒と同様に扱い、その代わり放課後に補習をする形でサポートするのが普通のようです。
まず、我々は教える商売をしているわけですから、対象が誰であれ、内容が何であれ、きちんと教えた経験はそれなりに意味を持ちます。ただし、英語を教える、という観点からは、これは必ずしもプラスには評価しません。我々はキッズ・イングリッシュも提供していますが、基本は成人対象です。子供が英語を習得する場合と、大人がそうする場合とでは、習得のしかたに大きな差がありますので(「母国語を子供が習得するように英語を学ぶ?」をご参照ください)、子供に英語を教えた経験は必ずしも有効に働きません。それどころか、それを理解せず、同じようなやり方でうまく行くと思っているとかえって害になります。
キッズ・イングリッシュの生徒さんを除くと、我々の生徒さんは皆、高いレベルの教育を受け、専門的仕事に就いておられる方ばかりです。仮に英語に拙いところがあるからといって、子供ではないのです。変に子供にばかり教えた経験がある人は、ここを理解できないことがありますので、私にとっては要注意ポイントです。
英語に関する学位を持っている人の場合も、もちろんそれを積極的に否定的に評価することはないにしても、肯定的に評価するとは限りません。
「英語に関する学位」といっても、実際は英文学、ないし米文学に関する学位であることが大半なのですが、そういったバックグラウンドが本当に意味を持ってくるのは、ネイティブ・スピーカに匹敵する…とまでは行かなくてもそれに近いレベルの高い英語力を既に持っている生徒さんを教える場合に限られます。こういった生徒さんもいるにはいらっしゃいますが、やはり少数派です。ですので、「母国語としての英語」よりも、「外国語としての英語」に対するセンシティビティーがある応募者を優先します。
「英語の文法に詳しい」という主張をする応募者もいましたが、詳しく聞いてみると、要はなんとなく正誤判別ができる、というだけでした。もちろんできないよりいいのはもちろんですが、きちんと外国人にもわかるように説明できなければ、意味がないと言うほどではないにしても、特筆すべき技能とは言えません。
この英語に関する学位する評価に関して際立った例外だったのがリナです。彼女は英語のPh.D. (博士号)を持っているばかりではなく、専門がラィティングなのです。既にアメリカ国内の大学でアメリカ人学生相手に英語を教えた経験もあり、私は彼女の履歴書を見たとき、"Good buy!" (「いい買い物!」)と思いました。この話は彼女にすると、「人をモノみたいに言って!」と嫌がるのですが、今もって実にいい買い物だったと思っています。
ちなみに、私はネイティブ・スピーカの講師に、英語文法を生徒さんに説明できる能力をを最初から期待していません。彼らは英語のネイティブ・スピーカであるため、かえってこういう知識を身につけるのが難しいからです。高いレベルのTESOLの訓練を受けた人でないと駄目でしょう。我々が単に日本人だからというだけで、外国人にも分かるように日本語文法を説明できるわけはないのと同じことです。
学習効率の観点からも、文法の知識を得るには、生徒さんがご自分で日本語で書かれた文法書を読むほうがよほど効率がいいと思っています。誤解をしていただきたくないのですが、文法の運用練習の方は、上級の方を除き、ほとんどの生徒さんのレッスンの大事な一部となっています。
私は、ご自分でできることを何もレッスン中にやる必要はない、というふうに考えますので、文法知識そのものをお教えするコンポーネントは今まで積極的に生徒さんのレッスンに組み込んできませんでした。ただ、そういった知識を強化した方がよいと思われる生徒さんもおられますので、これについては何かいい手がないか現在思案中です。
経験に評価についての話が長くなりました。講師のリクルーティング全般に関して、まだ言い足りないことがありますので、その3に続きます。ご期待ください。
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